2010年12月21日
高知市内巡り (高知の旅終わり)



今回の旅行は 高知城の近くのホテルで連泊した。高知を出来るだけ極めつくすつもりだった。
今日は 土佐電鉄に乗って 市内を巡った。
はりまや橋は前に見てこんな橋だとは知っていたが、それでも高知に来て 見ない訳にはいかなかった。
前見た時より 綺麗になっていた。
駅から土佐電鉄で3つ目位の所にあり、桂浜に行く時も高知城に行く時も このはりまや橋の前を通る。


現在は土佐電鉄が通る大通りにあり(昔も重要な道だっただろうが・・)、高知城へは そんなに遠くはなかった。土佐には上士・下士という厳しい身分制度があったようで 龍馬は お城に登れるような身分ではなかったらしい。

龍馬誕生の地の近くに 『龍馬の生まれたまち記念館』というのがあった。
龍馬が生まれてから 土佐を脱藩する迄や 家族の様子等の説明もあり、龍馬が生まれ育った環境などが よくわかる所だった。
5人きょうだいの末っ子らしい。家は元々商家だったが 経済的にも恵まれていたので、下士(郷士)という身分を手に入れたのか・・・?
愛情をいっぱい受けて のびのび育っているように感じた。

土佐藩・山内容堂の重臣で、はじめは龍馬とも対立していた。坂本龍馬と会談し 山内容堂を説得したのが 大政奉還へとつながったようだ。 歴史上大事な役目を果たした人だった。私には テレビドラマでの 青木嵩高さんの強面が印象に残っている。

高知城のすぐ近くだった。
後藤象二郎とも幼な馴染みらしいが、二人の家(誕生の地)は 歩いても結構近かった。(坂本龍馬の家も そんなに遠くない)
高知城の周りに歴史上の人物が沢山いて 凄いなあと思った。

家は代々山内家の家臣(上士)だったらしい。坂本龍馬より2歳年下、明治維新で幕府を倒して 新しい日本を作る為に活躍した。
自由民権運動のリーダーだったが 自由党総裁に押された後 暴漢に襲われた。その時の『板垣死すとも自由は死せず』というような言葉で有名だが、そう言っているような力強い像だった。
晩年 政界を引退した後も 社会改良運動等で活躍し 大正8年 83歳で死んだらしい。
傍に書いてある説明を読んで 『そうなのか?』と思う事が いっぱいあった。
確か 百円札の人だった・・・。

山内一豊は 尾張で生まれ 最初は豊臣秀吉に仕えた。しかし 関ヶ原の合戦で 徳川方で功績をあげて 土佐の初代藩主となった。

像や碑は 殆どは高知城の近く 徒歩圏内だったが、はりまや橋など 少し離れた所はこの電車にも乗った。桂浜へもはりまや橋迄この土佐電に乗ってきて、ここから桂浜に向かった。
私に現在必要なのは 家庭生活の為になる事や健康情報等・・・、でも 高知で色々見てきて とても楽しかった。日常生活を忘れるのもいいもんだと思った。
Posted by モッチ
at 07:06
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