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2016年08月05日

舞鶴・引揚桟橋と引揚記念館

舞鶴・引揚桟橋と引揚記念館

引揚記念公園・復元桟橋

舞鶴に用事で行った時、義妹の車で 市内の引揚記念館等を見学した。

昭和20年10月から昭和33年の最終船まで 舞鶴港は 引揚港のひとつとして 役目を果たした。
引揚桟橋は 以前にも来た事がある。その時も ここが 引き揚げ者がやっとの思いで帰って来られた所なんだと思いながら見た。

舞鶴・引揚桟橋と引揚記念館

引揚記念館

バスツアーで沢山の人が来ていた。

舞鶴・引揚桟橋と引揚記念館

ユネスコ世界記憶遺産になった

前に見学した時より 資料が沢山展示されていた。

舞鶴・引揚桟橋と引揚記念館

雪のシベリヤ収容所

終戦時 大陸に残された人たちがいたシベリヤ収容所。新聞等では経験者の話を何度も読んだことがある。

舞鶴・引揚桟橋と引揚記念館

引き揚げの歴史


舞鶴・引揚桟橋と引揚記念館

シベリヤでの服装


舞鶴・引揚桟橋と引揚記念館

食事の様子


舞鶴・引揚桟橋と引揚記念館

白樺に綴られた日誌


舞鶴・引揚桟橋と引揚記念館

手作りのメモ帳


舞鶴・引揚桟橋と引揚記念館

歌でも有名になった 岸壁の母の端野いせさん

私は子どもの子の頃 興安丸で沢山の人が舞鶴港に引き揚げてきたというのは聞いて知っていた。 
引揚者が大変な苦労をしてこられたという事は うっすらとしか記憶にない。
私達も 食料のない毎日を送ったが、それどころではなかったと思う。
今回 沢山の展示品を見て 極寒地での大変な生活の一部がわかった。

全国から 引き揚げやシベリヤ抑留に関する資料が寄せられていて、順次紹介されるらしい。

今はそういう戦争の頃の事が忘れ去られているような気がする。






Posted by モッチ  at 20:33 │Comments(0)

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