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2011年10月17日

柴又帝釈天と旧崎弥太郎邸

柴又帝釈天と旧崎弥太郎邸

境内の案内図によると『二天門』というらしい

寅さんで有名な帝釈天に行った。
寅さんの映画は あまり知らないが、「生まれも育ちも葛飾柴又です・・・帝釈天で産湯をつかい・・・、姓は車、名は寅次郎・・・」とか何とかいう あの有名なせりふは知っている。

渥美清さんは、昔 テレビの「夢で逢いましょう音符 音符 」で見ていた。

ここは 『題経寺』というお寺の様で、とても広くて立派な所だったし 木彫りの彫刻がとても美しかった オドロキ

柴又帝釈天と旧崎弥太郎邸

立派な松が植えられていた。



柴又帝釈天と旧崎弥太郎邸


柴又帝釈天と旧崎弥太郎邸


柴又帝釈天と旧崎弥太郎邸


柴又帝釈天と旧崎弥太郎邸

大鐘楼

柴又帝釈天と旧崎弥太郎邸

寅さんの帝釈天が こんなに広くて立派な所だとは知らなかった




旧岩崎弥太郎邸

柴又帝釈天と旧崎弥太郎邸

明治29年に建築されたもので 当時の日本の建築史に残る洋風建築だったらしい。
頂いたパンフレットによると、ジョサイア・コンドルという人が設計した。日本の西欧建築の父とも言われる人らしい。
完成当時は15,000坪の敷地に 20棟以上の建物があった。第二次大戦後の財閥解体の後は 国有財産となり最高裁判所司法研修所等に利用された。2001年に東京都の管理となったようだ。

大河ドラマで見た香川照之さんの 鳥かごを売る弥太郎が思い浮かぶが、たった一代で大財閥を作れるという事が 庶民の私には理解できない。







Posted by モッチ  at 22:02 │Comments(0)

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