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2010年06月11日

歴史の街伏見を散策

歴史の街伏見を散策

魚三楼

鳥羽伏見の戦いの時の弾痕跡が この料亭『魚三楼』の表の格子に残っていた。魚三楼は 官軍陣地への炊き出しを命じられていた所らしい。
旗を先頭にした観光グループや 個人の観光客が沢山訪れていた。

歴史の街伏見を散策

鳥羽伏見の戦い・弾痕跡

『幕末の慶應4年1月に ここ伏見で新政府軍と幕府軍とが大激戦を繰りひろげた。この戦乱で 伏見の街の南半分は戦災焼失、街は焼け野原となった。幸いにしてこの建物は弾痕のみで 焼失をのがれた。』 というような説明が 書いてあった。


歴史の街伏見を散策

伏見奉行所跡

ここは 『鳥羽伏見の戦い』の時、会津藩・新撰組等の幕府軍が陣を構えた所らしい。その前に行った官軍の屯所があった『御香宮神社』から南へ200m.ほどの所、敵・味方が戦ったのはこの辺りか?と思いながら歩いた。
御香宮神社といい 魚三楼といい、結構近くにある。この辺が 激しい戦争のど真ん中だったという事がわかった。



歴史の街伏見を散策

駅そばの大手筋商店街を入った所に 伏見銀座跡があった。両替町とか お金に由来する地名があることは知っていたが 銀座跡の事は知らなかった。
ここは 1601年に徳川家康によって作られた銀貨の鋳造所跡だということで、ここが日本で最初の銀座跡らしい。
銀座という地名なら 私は東京の銀座が思い浮かぶ。 その当時は 伏見が日本最大の城下町だったようだ。



歴史の街伏見を散策

市電発祥地

こんな石碑もあった。
わが国最初のチンチン電車が 明治27年に 伏見のこの辺りと京都駅の間を走ったそうだ。明治28年に岡崎公園辺りで開かれた博覧会へのお客さんを輸送する為 造られたらしい。

のどかな市電が私は好きだったが、色々事情もあったようで 残念ながらなくなってしまった。


伏見のかなり狭い範囲に 色々面白い所があり、お酒どころだけでなく 歴史から見ても色々あった所だということがわかった。


昔 丹波橋は京阪電車と近鉄が同じホームを使っていて ここで近鉄と京阪の乗換えが 同じホームで出来た。今は国際会館行きの電車も走るようになって線が増えたせいか、丹波橋は京阪と近鉄は別の駅になっていたみたい・・・。
歴史的なものは残っているが、電車の様子は変わっていた。
丹波橋から一つ先の駅の事は 今回ここに来るまで 知らなかった。




Posted by モッチ  at 20:10 │Comments(0)

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