2009年05月25日
大阪城『残念石』
今回印象に残ったのが この『残念石』。この石は はるばる遠くから苦労して運ばれてきたのに 石垣として使われなかった石。 『残念石』とは うまく名付けられたものだと思う。その通りだけれど・・・。
天守閣の下で なんか恨みっぽく鎮座しているように見えておかしい。
この井戸は 天守閣のそばにあった。二代目天守閣の頃に造られたそうで、深さは33メートルと書いてあった。皆が覗いていたので私も覗いたが 真っ暗で何も見えなかった。天守閣が焼失してもこれは残った。
現在の大阪城の天守閣は 昭和の初めに造られた。市民の寄付を募ったら 莫大な寄付が集まったそうだ。 今 そんな 奇特な人 居られるかなあ・・・・?
天守閣から見ると 周囲に緑が多いのに感心した。この町の真ん中の憩いの公園が 大阪城公園だと思った。
大阪城公園前駅が出来るまでは 大手門から入ったものだ。
大手門から入っていた頃 大手門の石垣は 特大の石ででびっくりした記憶がある。 調査したら 中には特大だけれど 張りぼての様に薄っぺらい石もあるそうだ。
秀吉の頃の石垣も土の中にはあるそうだ。それはいわゆる野面積みという方法で積まれていたとの事。
遠くは熊本など 色々なところから 運ばれてきた。 その藩の大名の印が付いていた。 城の石垣にも刻印されているのが見えるらしい。
現代ならともかく 全てが発達していない時代に こんな大きな石 (大手門からの石はもっと凄い) を運ぶのは 本当に大変だっただろうと思う。
Posted by モッチ
at 15:23
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