2008年08月24日
高槻しろあと歴史館・甲冑大図鑑

しろあと歴史博物館の『甲冑大図鑑』という企画を見に行ってきた。丁度夏休みにあわせて企画されているので 子ども向きかなあと思い 歴史にうとい私には丁度良さそうなので行った。
歴史物のテレビを見ると 戦争シーンで邪魔になりそうな冑をかぶっているのを見て 重たそうだなあとか かっこいいとか色々感じていた。
これは高槻藩主永井家の藩主に近い人物のものらしい。
それぞれの甲冑にはそれなりの理由があるようだ。

これは 島津藩のものらしい。元々は 徒歩武者用だったが 歩兵戦が主流になると高級化してきたらしい。

冑の鍬形(角のような部分)の間には前立てという モノがあるが、島津藩の前立ては同家の守り神・キツネがつけられていた。

身分の高い武士用、馬に乗って弓矢で戦うのに適しているらしい。
冑の前立てには龍の様なものが付いていて、かなり凝っているなあと思った。
他にもたくさんあった。
これらを見ていると 戦いに適しているというより、それぞれの家や藩の力を示す為に凝ったものがつくられたようにも感じた。
夏休みの子どもの為の展示だったかも知れないが 大人にも大変興味のわく面白い展示だった。最初は戦争の為のものだったかもしれないが 凝っているし 美しいし、素晴しいものだった。
2008年08月16日
白血病闘病記『翼をください』

『骨髄バンク登録推進運動・命のつどい』に行った時 我が子の経験を話された前田みち子さんが書かれた本『翼をください』を買ってきて読みました。
娘さんが小学校3年生の時 風邪かなと思っていたのに 思いもかけず白血病と診断され、一度は奈落の底に突き落とされながら 懸命にそしてつとめて明るく 母子で病気と闘われた様子が克明に書かれていました。病気が小康状態になれば登校、悪くなれば入院・・・その繰り返しで闘い続けられましたが 8年間の闘いののち ついに命尽きてしまわれました。丁度私の娘と同い年 他人事とは思えませんでした。
娘にも読ませましたが とても最後まで読めなかったと言っていました。
闘病されていた頃は 骨髄移植が定着していなかった頃で 前田さんが 今 骨髄バンク登録推進運動を進められるには お母さん自身の強い思いがあるのだなあと思い 感心しました。
タイトルの『翼をください』は 娘さんが高校入学の時 自由に空を飛びたいという気持ちを書いた『ボクの翼』という詩を元にされているようです。
2008年08月09日
骨髄バンク登録推進運動 命のつどい

友人に誘われて『骨髄バンク登録推進運動・命のつどい』というのに行って来た。俳優の渡辺謙さんや女優の夏目雅子さん等が白血病にかかられたというのは知っていたし、白血病を救う方法として骨髄移植があることは知っていたが、殆ど関心がなかった。たくさんの人が協賛していて、盛り上げようと 色々行われた。
前田みち子さんが 我が子を八年間闘病の末白血病で亡くされたご経験から 骨髄移植の必要性をお話された。
このような催しが行われている事さえ知らなかった。骨髄移植は五十歳半ばまでの人なら出来るそうだ。身近な人に白血病の患者さんがいなかったせいもあるが、関心を持っていなかったなあとつくづく思った。

2008年08月03日
映画 『崖の上のポニョ』

宮崎駿監督のアニメ映画だった。いつもは上映期間が終了する頃に行くので 観客は数人という事もあったが、監督が良かったのか 夏休みだったせいか、子ども連れの家族で一杯、座席は三分の二近く埋まっていた。上映期間はまだまだありそう・・・。

アニメがとても可愛くて綺麗、声の吹き替えは知っている人が多かったらしいが 画面にひきつけられて誰だった記憶にないくらい。ポニョの歌も 大人の声のほうも素晴しいし 子どもの声もとてもかわいらしくて素敵・・・。

五歳の少年・宗介が くらげに乗って家出したポニョと出会う。海底のガラス瓶にはまり込んで抜けられなくなったポニョを 宗介が助け 交流が始まる。しかしポニョは かつて人間だった父・フジモトによって海に連れ戻される。ポニョは父の魔法を盗んで人間になって 再び宗介の元に来る。宗介はけなげにもポニョを守ろうとする。

宗介は母親が働く老人ホームの隣の保育園に通っているので 老人ホームの入所者とも交流がある。その一場面。宗介はポニョも連れて保育園に来ていた。

宗介とポニョとの交流があった宗介のお家。
海の中や宗介の周りの自然がとても美しく描かれていて 見ていて楽しかった。
これらは全て 手描きのアニメだという事で迫力もあった。今回の映画、来ていたお子さん達にもわかりやすかったのではないかと思う。私も充分楽しんだ。
2008年07月27日
地域の夏祭り

私達の地域の夏祭りが行われました。750戸余りの大世帯で準備も大掛かり、公園も広いので張られたテントが お店用・休憩用等 数えてみたら合計11もありました。焼そば・フランクフルト・大学芋・おにぎり・おでん・かき氷等々の食べ物の店、缶つり等遊びの店など色々ありました。その準備は役員・班長さん達がするのですが ボランティアで協力されている方もたくさんいらっしゃいます。ボランティアは老人会の方が中心だとは 今年初めて知りました。毎年テント張り等されているので要領はよくご存じのようです。
我地域の老人会は大変元気です。

毎年中心になっているのが 芝谷聖ヶ丘保育園の出し物、芝谷中学校のブラスバンド演奏、そして芥川高校の太鼓演奏です。
芥川高校の太鼓は全国大会に出場しよい成績を取るし 外国へ演奏に行くほどの腕前、ブラスバンドは今回は大河ドラマ『篤姫』のテーマ曲も演奏しました。
短い時間でしたが 楽しく聴いたり見たりさせてもらいました。若者のはつらつとした姿に 大変感動しました。
2008年07月20日
英国スコットランド・ブラスバンド・コンサート

英国・スコットランドのブラスバンド演奏会に行ってきました。
このバンドは スコットランドの学生さんで 厳しいオーディションをくぐり抜けた 最も有望な若い音楽家で構成されているそうで、日本各地で演奏をされました。
このバンドはトランペット系30人弱、トロンボーン9人、ユーフォニアム10人、チューバ8人、パーカッション4人、他にもバリトンとか色々あったようです。クラリネット・フルート・サキソフォーン等の木管楽器が全くなくて、ものすごい迫力でした。トランペットがずらりと並んでいるサマは壮観でした。チューバは 室内なら普通は1人か2人だと思うのですが 8人もいました。
ホルストの『ジュピター(平原綾香さん?が歌っている曲の本物)』とかバッハの曲、ローエングリーンとか色々ありました。

指揮者はスコットランドの伝統衣装のキルトを着ておられました。
ユーフォニアムのソロの方は 学生さんではなくてベテランの方、『ヴェニスの謝肉祭』他色々聴かせてくださいました。テクニックが素晴しい!大きな楽器は細かい音の演奏が難しいだろうに 難度の高い曲を演奏されました。

色々演奏の後、客席後方入口から音がしたと思っていたら 伝統衣装の学生さんが(写真と同じく赤のタータンチェックのスカート(?)上は黒でした)バグパイプを演奏しながら入って来て、舞台で一緒に演奏しました。この方はトロンボーンの方でした。
バグパイプの演奏は高血圧の人はダメだと聞いた事があります。肺活量も多くないと吹けないのかなあと思いました。勿論今回は若い学生さんなので、難なく吹いておられるのだろうと思います。
バグパイプの生演奏をこんな所で見られるとは思っていなくて 嬉しくなりました。
サービス満点の音楽会でした。
2008年07月12日
映画 『奇跡のシンフォニー』

映画のタイトルと 新聞広告の少年の可愛い顔を見て 映画館に足が向いた。
祖父が娘を音楽家として成功させるために 娘の子を死産だった事にして孤児院に預けてしまう。孤児になったエヴァンには 生まれつき大変豊かな音楽の才能があった。

不思議な音楽に引かれ 孤児院を抜け出したエヴァンは 辿り着いた所で 雇い主に 他の子ども達と一緒にストリートミュージシャンとして働くように言われ、活躍する。

ストリートミュージシャンとして演奏中に音楽好きの男と出会い 意気投合する。お互い知らないが実は親子の出会いだった。男にもっといい活躍の場があると聞かされ 雇い主の所から逃げ出す。

母は 子どもが死産ではなく生きている事を 祖父から祖父の死の直前に聞かされる。その後わが子を探し続けるが 自分が出演したコンサートで離れていたエヴァンの父と また名前を変え孤児になっていたわが子と偶然感動の再会をする。
エヴァンがこんなに急にギターがうまくなるもんか?と思うくらい 上手く出来過ぎた話だったけれど どうなるんだろうとハラハラしながら観た。
新聞広告のロードショーの広告タイトルが『いよいよ明日、泣いてください』だった。そのせいか、観客はいつもに比べて多かった。
2008年07月05日
小形美香子さんピアノリサイタル

小形美香子さんのピアノリサイタルに行ってきた。小形さんは高槻市の出身、現在はニューヨークに住んでおられニューヨーク市立大学博士課程で研鑽中、また各地で演奏活動をしておられるとの事。
年に一回里帰り公演をされる。今年は7月3日に東京で、5日に高槻でリサイタルをされた。曲はベートーベンの「悲愴」やショパンの「バラード」や「ワルツ集」等々。クラリネットのポール・ヴブラニィエツ氏のゲスト出演もあった。美香子さんの伴奏でクラリネットの演奏をされた。(昨年もあった) 聴き慣れた曲が多くて とても心地良い演奏会だった。
地域の皆さんはこの年一回のコンサートを楽しみにしておられ、演奏会中も 「美香子さんお帰りなさい。」という雰囲気だった。
受付その他も地域の人が協力してやっておられるようで、ぬくもりを感じる演奏会だった。
2008年06月29日
誕生日プレゼント

私の誕生日に孫がプレゼントを持ってきてくれた。手作りの箱を開けたら こんなティッシュ・ケースが入っていた。
孫は7歳、母親がパッチワークなど手芸を色々するのを見ていて 自分も作りたくなったらしい。少し前から自分のものをフェルトで作っていたのは知っていた。「おばあちゃんボタンない?」と探しに来て 古いボタンの気に入ったものを宝物の様に持って帰った事もあった。
ウサギさんの形を自分で切って適当に縫い付けたとの事、並縫いしか出来ないが 親の手伝いナシならこんなもんで上等だと思った。私の喜ぶ顔を見て孫も満足そうだった。

2008年06月24日
綾部温泉

この間 綾部温泉に行ってきた。京都府の綾部市内から車で30~40分、かなり遠かった。地図で見たら丹波の山の中、とても温泉などありそうも無い所、本当に掛け流しの湯か 半信半疑だったが、本当の温泉とのことだった。こんな所に温泉が出るとは知らなかった。沢山の人で賑わっていた。こちら方面に出掛けた帰りに チョッと立ち寄れそうな所だった。

温泉のそばに パターゴルフ場等の施設があった。私達が着いた時は 沢山の人がプレー中だった。帰る頃にはこの通り がらんとしていた。皆さん 午前中はゴルフをして その後食事と温泉を楽しみ 帰られるみたい、シニアが一日楽しむのには良い所だと思った。

この綾部温泉の少し奥に君尾山(キミノウサン)があって 中腹に二王門がある。鎌倉時代に造られたらしいが 綾部では唯一の国宝という事で わざわざ遠くから見に来る人もいるらしい。昭和の時代に修理をして 今は綾部市で大切に管理されているという事だった。
今回は時間の都合で立ち寄れなかったが 次回行ってみたいと思う。
2008年06月18日
けやきの森市民大学講座・横田滋さんご夫妻
けやきの森市民大学講座があり 『拉致から30年 娘は今!? 』という題で 横田さんご夫妻の講演会が生涯学習センターで行われた。日頃から気になっている事なので聴きに行った。大きな会場なのに 中は超満員、座る所が無くて最後は最後尾に椅子が運び込まれた。私も最後列だった。(写真を撮るのも悪いなあという気持ちだったが 最後列から撮らせて頂いた)
まず横田滋さんが めぐみさんの拉致から現在までの様子等を話された。体調不良で入院もされた滋さん、今回はお元気で高槻まで出て来られたが、長い闘いでお疲れも溜まっているだろうと思った。その後 早紀江さんが自分の思いも込めてお話された。その後コーディネーターの けやきの森市民大学名誉学長の木戸さんの司会で対談があった。会場のみんなは応援する気持ちで一杯、最後は拍手が鳴り止まないくらいだった。
最初に挨拶に立った奥本市長も 今日はいつもと違って挨拶の途中 言葉に詰まられた。(開演前に多分 横田ご夫妻とお話されていたのではないかと思う)
大阪の片隅ででも みんながこれだけ応援しているのに 何ともならないのが実に悔しい・・・という思いで一杯だった。
2008年06月14日
フランス カー・ルージュに乗って凱旋門へ(終)


殆ど同じ様に見えるが彫刻が違う。それぞれの彫刻にはあらわしているものが違うらしい。(戦いとかを表している)
自由行動の後半 ガイドさんにバス乗り場まで送ってもらって 二人でカー・ルージュに乗って凱旋門に行った。
私は ああこれがあの有名な凱旋門かと見とれていた。夫は戦争の事を考えていたようだ。
これはナポレオンが作ろうと命じたが 完成前に死んでしまったとか、流刑地セント・ヘレナ島で死んだ後 遺体となって完成したこの凱旋門をくぐってアンヴァリッドの墓に埋葬された。第二次世界大戦中は ナチス・ドイツがパリ占領の時 ヒットラーが戦車で凱旋したらしい。
地図で見ると 道路が凱旋門を中心に放射状に集まっていた。
凱旋門を見たあと シャンゼリゼ大通を散策したが、(”オーシャンゼリゼ”の歌で有名な所だ~と思った)道幅が広く 道の端にはカフェ・レストランから張り出したテラスの様なのが沢山あり、のんびりくつろいでいる人が一杯いた。ここだけかもしれないが 休日でもないのに なんて暇なんだろうと思った。働き蜂の日本人とは大違いだった。

カー・ルージュはパリの観光スポットやショッピングエリアを回っている循環バス、名前の通り真っ赤な二階建てバス。
乗ったら運転手さんがイヤホーンを渡してくれた。どこに差し込むのかと困っていたら、向かいのご夫人が 差込場所教えてくれて、「貴女が何語を話すかわからないので 自分でチャンネルボタンを押しなさい」という様な事を 英語で言ってたようだった。フランス語ならチンプンカンプン、助かった。ボタンを押していったら ⑥で日本語の解説が聞こえてきた。次の駅名や観光案内が聞こえてきた。でもよく考えたら 凱旋門は誰が見ても 門が見えたらバスから降りればいいという事だった。
黒人の運転手さんは 途中で出会う車の人や通りすがりの若い女性達に話しかけたり にぎやかな事。乗ってきた黒人の客と喧嘩の様な大声を出したので、びっくりしていたら 向かいの例のご夫人は「ノー・プロブレム」と私達に言って笑っていた。 挙句の果ては喫茶店に入ってしまったり(一服か?)まあのん気な運転であきれた。日本なら即座に『首!』と言うところだろう。目的地に着くのに随分時間がかかった。
これで私達の旅行も終了、美しい自然をみる旅ではなかったが、歴史のある遺産は沢山みることが出来たし 勉強にはなった。
2008年06月11日
フランス・ノートルダム寺院

ノートルダム寺院は セーヌ河のシテ島にあった。フランスカトリックの総本山だとか、ゴシック建築の最高傑作だそうで、外から見ても中を見ても素晴しい。ガイドさんの説明を聞きながら 中をみた。奥行きは100メートル以上あるそうで細長くて広かった。薄暗いのでとても神秘的 色々な彫刻の像があった。ここは 映画 『ノートルダムの・・・男』で 一躍有名になったとガイドさんが言っていた。私も映画好きの親に連れられて 子供の頃観に行った記憶がある。アンソニー・クインが出ていた事は覚えていたが 後日 妹が女の人は「ジーナ・ロロブリジーダだった」と言ったので 私も思い出した。

正面には3つの門があり それぞれに「最後の審判」とか「聖マリア様」とかのテーマで彫刻がしてあった。それぞれの彫刻に 意味があるようだ。

バラ窓は3つあり これは直径13メートルあるらしい。外から見ると殆どわからないが、中から見ると光の影響でとても綺麗だった。


普通は 駅とか市役所が距離を示す時の基点になるが パリではノートルダム寺院の前のこのマークが パリから各地への距離の基点になっているそうで、ポイント・ゼロ=POINT ZERO DES ROUTES DE FRANCE が地面に埋め込まれている。
写真を撮ろうと待っている人が回りにいた。
2008年06月08日
フランス・セーヌ河クルーズ

自由行動の日 オプショナルツアーでセーヌ河クルーズを楽しんだ。ツアーのメンバーでの参加者は私達二人だけだったので ガイドさんの説明を二人で聞いた。セーヌ河には立派な橋が沢山架かっていた。パリはセーヌ河を中心として両側に発達した感じ、川沿いにはエッフェル塔・ルーブル美術館・オルセー美術館・パリ市庁舎等々 歴史のある立派な建物が沢山建っていて、船からよく見えた。柔道の柔ちゃんが結婚式を挙げた教会もあった。またセーヌ河の中のシテ島にはノートルダム寺院やマリー・アントワネットの独房があるコンシェルジュリーもあった。あいにくの雨模様、曇ったりパラパラ降ってきたりで 天候がいまひとつだったのだけが残念だった。


セーヌ河沿いには ルーブル美術館 オルセー美術館 オランジェリー美術館と美術館だらけだった。ルーブル美術館は 長さが800メートルもあるという事で、見た目もやはり長かった。行った人はとても回りきれないと言う。日本に今も来ているし 観るチャンスはある。今回私達は時間の都合で中にも入らなかった。


フランス革命の時 監獄として使われていた。マリーアントワネットをはじめとして1200人以上もの人が収容され 殆どがこの場所から断頭台へ送られていったそうだ。内部が一般公開されているそうだ。マリーアントワネットはここの独房で2ヵ月半過ごしたらしい。
2008年06月04日
フランス・モンサンミッシェル

砂と遠浅の海の中の岩盤上に建てられたモン・サン・ミッシェル修道院は 遠くから見ると 修道院というよりお城のようだった。中世の建築の様式でつくられているそうで とても美しい。ガイドさんのイヤホンガイドによると 百年戦争時には要塞の役目を果たし フランス革命の時には 修道院は廃止され 国の監獄として使用され、そのあと再び修道院として復元されたという歴史を持っているとか。
ここに行くには パリのホテルから西へ360キロ余り、片道4時間半位掛かった。


岩山の上にあるし この高さまで来るのに階段が沢山あったので、ツアーの年配の方は ついて行くのが大変そうだった。

礼拝堂 客間 修道士の食堂(だった?) 回廊等々 岩盤をうまく利用して沢山の部屋が造られていた。造られてからの年数は経っているが どの部屋も素晴しいと思った。どこも見学の人で一杯だった。
今日はバスの運転手さんが二人乗っていて、途中で交代していた。往復700キロ余り走るのだから その方が安全には違いない。日本の観光地では 一日中一人で運転してくださるが、夕方ホテルに無事着いた時には 『朝から晩までご苦労サマでした』と感謝したくなる時がよくある。
ここへ来る途中 サービスエリアというものは一箇所しかなく あっさりしたものだった。。フランスはどこでもだったが 溢れるほどの観光客の割りにトイレが少なく ここモン・サン・ミッシェルでも少ないトイレに何十人もが並んでいた。トイレ番のオバさんに40セント払った。
パリ市内観光の時には エルメス、ルイ・ヴィトン等々 ブランドショップの本店らしきものが並んでいるのをバスの窓から見て 『はぁ~、ここが世界の流行の本場だ~』と感心したが フランスにも足りない物が沢山あるなあと思った。

オムレットは名前は知っていたが 食べるのは初めて、泡立てた卵が上に掛かっているという感じで 私はそんなに美味しいとは思わなかった。
2008年06月01日
フランス・コンコルド広場
マリー・アントワネットがセーヌ河そばのコンシェルジュリーの牢獄にしばらく置かれた後、この広場で処刑されたそうだ。ルイ16世その他多数の人も処刑された。前にはルイ16世とマリー・アントワネットの結婚式が行われたところだったというのに・・・。
この塔オベリスクは 少しあとの1800年代に エジプト・ルクソール神殿から贈られたもの。オベリスクの足元にはルイ16世とマリー・アントワネットの処刑を記すプレートがある。
この広場からはるか遠くには凱旋門が見え、四方に色々な眺めの広がる所だった。この近くには陸軍省の建物があった。
ヴェルサイユ宮殿の贅沢な生活やこのコンコルド広場等を見て フランスの歴史がたどれるような気がした。

ホテルと観光地の行き帰り アルマ橋下のトンネルを何度か通った。このトンネルを通るたびに 「中央分離帯のこの柱に 英国のダイアナ妃の乗った車が激突したんです」と 添乗員さんが話していた。バスのスピードが速すぎてどの柱かよくわからなかったけれど・・・。バスで現場を通る時、みんなシーンと静まり返っていた。
トンネル上のアルマ広場には クリミヤ戦争勝利の記念像"自由の炎”が建てられているが、ダイアナ妃が亡くなったのがこの広場の下のトンネルという事で 今はこの広場に元妃を偲んで沢山の人が訪れているらしい。
2008年05月29日
フランス ヴェルサイユ宮殿

日本では ヴェルサイユに関する展覧会がしょっちゅう行われていて有名なヴェルサイユ宮殿、また映画やテレビでよく出てくるこの宮殿を 一度は見てみたいと楽しみにしていた。
私達は 朝行った為か 又は予約でもしてあったのか、待たずに入れた。 でも中は見学の人で一杯だった。


500枚以上の大鏡をはめ込んだ大回廊。シャンデリアが素晴しい。
マリーアントワネットの映画を前に観た事があったので、その時代を想像しながら見て歩いた。回りきれないほど沢山の部屋・調度品・絵画があり素晴しかった。
しかし 部屋を見ながら なんと贅沢な・・・と思ったし、こんな事をしているから 最後は処刑されることになったのかとか、色々考えながら見て歩いた。私がこの時代に生きていたら貧しい庶民であること間違いなし、フランスの王政に対し不満が爆発した庶民の気持ちはよくわかる。
マリーアントワネット個人に関する考えも諸説あるらしいが・・・。

観光客は沢山いるのに トイレはホントに少ないので 長~い長~い行列に並んだ。立派なものを見た後のトイレの行列は興ざめだった。
駐車場にまでトイレがある日本は なんと親切な国だこと・・・と思った。
帰る頃には 入場を待つ人の列が門の前に溢れるほど続いていた。世界中から訪れているという感じ。
あの人達 いつになったら入場できるのか 少し心配になったが、私達は帰りのバスに乗った。
2008年05月25日
ナポレオンが眠るアンヴァリッド教会

この金色のドーム教会の地下埋葬所には ナポレオンのお墓があるとの事だ。横の建物は 傷病兵の為の療養所だそうで 今も退役兵が療養生活を送っているとか。またナポレオンについての色々な品物や 各国の武具が置いてある軍事博物館もここにある。

フランス革命時代 祖国の自由に貢献した偉人を埋葬したそうで ヴィクトル・ユーゴー、ルソーらが地下に眠っている。
この旅行中 全員がずっとイヤホンを借りていて ガイドさんの説明を聞いた。

エスカルゴ料理を食べました。私は初めてで、 『でんでんむし・・・』の歌を思い出し 少ししか食べられませんでした。夫によると、日本で食べたものよりずっと美味しかったとの事です。写真で撮る時 周りの料理や飲み物等を入れなかったので まるでたこ焼きだと言われてしまいました。
飲み物は 水とビールとワインが (物により多少は違うが) ほぼ同じ値段でした。 水にお金を払うのがしゃくなので アルコールに強くないのにフランスではずっとビールやワインを注文し続けました。
2008年05月22日
パリ エッフェル塔


1889年フランス革命100周年を記念して行われた パリ万博の際に建てられたとか。320メートルあるそうで 上に上ってパリの街を見てみたかった。
真正面から見ると 写真等で見るイメージと同じだった。
タワーといえば 東京タワーと通天閣を思い出す私には このエッフェル塔が 何と繊細で綺麗な事・・・と思った。鉄が細く見えてホントに美しい!『鉄の貴婦人』と呼ばれるそうですがその通りだった。
観光の行き帰りにここを何度か通った。夜通った時は丁度8時前、8時から10分間エッフェル塔のイルミネーションが点滅して素晴しかった。(ジャストの時間に点滅するらしい) バスの席が後ろで 写真にはうまく撮れなかった。運転手さんがスピードを落として 点滅が始まるまで待ってくれたし ゆっくり通ってくれた。
2008年05月19日
ユーロスターに乗ってフランスへ

ユーロスターに乗ってロンドンからパリに行った。
高速国際列車ユーロスターで ドーバー海峡の下を通るというので楽しみだった。ロンドンで乗る前に 入国審査があって少し空港の様な感じだったが 違う国へ行くと感じたのはそこだけだった。 それ以外は普通の電車と変わりなかった。イングランドの田園風景を過ぎると トンネル、時間は20分ほど・・・、短かかった。
鉄道好きの私にとってはとても嬉しい経験だったが 夫は 「ただトンネルを通るだけやんか?何にも景色も見えんし・・、何がいいん?」と言う。
出来れば 孫と乗りたかったなあ・・・。
「最初にプラレールを孫用に買って 孫を鉄道好きにした責任者はあんたやろ?」 といつも言われています。その通りかもしれません。私は鉄道好きです。

三本の白線は EuropeのEをデザインされたもので ユーロスターが イギリス・フランス・ベルギーの三つの国を通っているので その意味も含まれているとか。黄色い星は未来のシンボル 優秀なサービスを意味しているし デザイン的に加えたものだと 添乗員さんが話していました。




