2009年07月01日

私の故郷の限界集落その②


朝日新聞記事より

前に読売テレビで 私の故郷にある『限界集落』のことを特集していたが、今度は 朝日新聞にも綾部の限界集落の事が掲載された。
テレビの時は知らなかったが 3家族が移住しているという記事だった。


限界集落のある綾部の地図

私は高校1年まで綾部に住んでいたが、この3つの地名を 聞いたことがなかった。私の住んでいたところからあまりにも離れていたせいか・・・。


3つの地名の所に住んでおられる家族3組
上は池田市からかわってこられた夫婦
下左は 尼崎から来られた家族3人 下右は テレビで紹介された8人家族

どのご家族も お若くて体力もありそう、頑張って住み続けて欲しい。

綾部は『グンゼ』の発祥地であり、大きな会社は『オムロン』があるが ほかに大きな工場があるかどうかは知らない。
故郷を離れてみると そしてこの年齢になると 故郷のことが一層気になり始めた。
『市長さん 町がさびれるのを食い止めるために 何か考えて下さい』と言いたいけど・・・。  

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2009年06月27日

ご近所で頂いた額アジサイの花


ご近所の方が緑ヶ丘辺りで開いておられる中華料理店に 私が食事に行った時、ご主人に そのおうちのアジサイを褒めた。
毎年玄関の前に見事に咲いているので その美しさに見とれていた花だった。
翌日奥さんから そのアジサイの花束が届いた。
家人からは 「欲しそうな顔で話すからや。」と 呆れられた。
欲しそうな顔をして褒めたつもりはなかったが 根が正直なので つい顔に出てしまったかも知れない。
反省はしているが、綺麗な花を頂けて うれしくて仕方がない。
少しの間 花瓶に挿して眺めていたが これは挿し木にして 来年花を咲かせたいと思いつき 挿し木にした。 (花を切り落とすのは 忍びなかったが・・・) 
亡き友人から貰ったアジサイといい これといい、アジサイの花の美しさを見直している。

アジサイのお礼がてら またそこへ食事に行きたいと思っている。





  

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2009年06月23日

三好長慶の居城があった三好山(城山)


2年近く前 三好長慶についての講演を聞きに行ったと 高槻の歴史に詳しい知人に話したら 三好長慶の居城が三好山にあったと 教えてくれた。
三好山の場所を示した歴史の本も見せてくれたが、そこには 『経験者と行く事』 という注意書きが書いてあった。家人に誘われたが 経験者と行く事という言葉が気になって 行くのをためらっていた。老人が山で迷子・・・なんてニュースになりたくなかったので・・・。家人は「そんなバカな!」と笑っていたが・・・。
今回 それでも行きたくなって行った。
摂津峡の近く 住宅街を通り 『妙力寺』横を通り過ぎ 『黄金の里老人ホーム』のそばを通り抜け しばらく行くと 三好山まで40分という立て札があった。


また 少し歩くと 石垣が見えた。ほかにも 石垣があった。何となくお城の一部らしい雰囲気になってきた。
フェンスがなくなって 分かれ道があった。そこを左に行った。どちらかなあと思ったのはそこ位のもの、あとは迷う事無く登って行けた。


あと6分という立て札があってからすぐに 山頂に着いた。40分もかからなかった。本丸が出来そうな平坦な所だった。三好山は180メートル位あるそうで 北は絶壁、西は摂津峡で そちらには下りられそうも無いので そんなに迷いそうには思えなかった。
ここなら 敵が攻めてくるのも 東か南のみで 守りやすそうだった。
でも ここに天守閣を造るのも 居城にするのも大変、道は細いし不便だと思う。殿町の西国街道近くの芥川城が 便利で良さそう。
三好長慶は ここで7年間 畿内を支配した。 河内国・飯森山城へ拠点を移したあとは 嫡男にあとを譲ったらしい。その後 織田信長に滅ぼされたりして 高山右近が高槻城に移った頃廃城になったらしい。


山頂にあった祠

ここは『三好芥川城の会』という所が 立て札を立てたりしておられるようだった。
そのお陰で 迷わずに行けたのだと思う。


塚脇のバス停近くにも この芥川山城についての案内板が立ててあった。
高槻の歴史の一部を見て来て 満足した。
  

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2009年06月18日

亡き友人に貰ったアジサイ


昨年の今頃 「挿し木にしたらどう?」と言って サークルの先輩が アジサイの花を一輪くれた。花を落として 挿し木にした。 昨秋 我が家に来た植木屋さんが 「来年は無理でも 再来年は花がつきますよ。」と言っていたが、今年 少し小さ目だけれど花をつけた。(アジサイの木その物も まだ小さい)
アジサイをくれた先輩は 残念な事に 今年3月 急に亡くなられた。
『花が咲いた』という報告は出来なかったが、アジサイを見ながら 先輩のことを思い出している。
自分の死期を知っていて あの様に素晴しい方になられたのか、元々の性格なのかわからないけれど 兎に角 皆に好かれるいい方だった。

私も 少しは見習いたいと思うが とてもとても 私はその様にはなれそうもない。
  

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2009年06月14日

直江兼続講演会


成蹊大学・短期大学

この学校での講演会に行くのは3回目、名誉教授の岡田保造先生の講演だった。1回毎に参加人数が増えて、20分前に着いたら 私の年代の男女で 殆ど満席状態だった。座る所がなくなって 椅子も沢山搬入された。
今回のテーマは 『大坂の陣で活躍した直江兼続ー愛の兜の意味はー』との事。テーマが大河ドラマだと たくさん人が来るらしい。私もその一人・・・。
先生が「テーマを 大河ドラマにせなあかんようになってしまって・・・」と苦笑されていた。

私は大河ドラマを見る迄 直江兼続という人物がいた事も 大坂の陣で活躍した事も知らなかった。
兜の前立ての『愛』の意味や 徳川氏に出した『直江状』についての話もあった。
先生が 直江兼続の地元で撮ってこられた写真も入れての わかりやすい講演だった。

次回からの大河ドラマが 一層楽しみになってきた。


私はここの卒業生ではないが 知り合いには ここの卒業生がいる。今回 先生の教え子もたくさん来ていたようで、団体で 花束を渡しておられた。
校門の辺りですれ違った学生は 今風の若者という感じだったが、校舎内は とにかく美しい。今日は 『一般人が来る特別な日』という事もあるが、どこにも埃ひとつなかった。
私は 幼稚園から学業を終えるまで こんな綺麗な環境で過ごした事は 一度もない。
最近の学生は恵まれているなあと思った。


講演会場

  

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2009年06月09日

コンクール優勝盲目の天才ピアニスト辻井伸行さん


いずれもテレビ画面より

今日のニュースで一番感銘を受けたのが このニュース 『ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールで 盲目の天才ピアニスト・辻井伸行さんが優勝した事』です。
このようなコンクールがある事は 今まで知りませんでしたが 予選から始まって 決勝まで数日かかるコンクールだそうです。
決勝では ショパンの『ピアノ協奏曲第1番』と ラフマニノフの『ピアノ協奏曲第2番』を弾いたそうです。
ラフマニノフの曲は難しそう、指が何本あっても足りそうにないと いつも演奏を聴きながら思います。
また オーケストラと息を合わせての演奏は 盲目の人にとっては難しい事、見事に演奏されたのは素晴しいと思いました。


少年時代の演奏風景

幼児の時から本格的にピアノの手ほどきを受けたとの事、楽譜が読めないので 先生が弾くピアノのメロディーを頭に入れて練習していくようですが 複雑なメロディ-を 聞いただけで頭に入れていく才能は (本人の努力も大変なものだったと思いますが) 凄いと思います。小さい時からの訓練で出来るのでしょうけれど・・・・。
お父さんによると 一日12時間弾いていた事もあったそうで 「終わりにしたら?」と言った事はあったけれど 「やりなさい」と言った事は無いとの事、「勉強は?」と 時々言われている誰かに聞かせてやりたいなぁ~
現在の大学での指導者は 横山幸雄教授だそうですが この方はショパンコンクールで入賞された方 見覚えがありました。
こんな若い 現役バリバリの方が指導されているのなら 弾いて聴かせながらの指導も出来るし 『そりゃいいわ!』と思いました。


赤ちゃん時代の様子

2歳くらいの時 おもちゃのピアノで お母さんがよく口ずさんでいたジングルベルを弾き始めて 家族がびっくりしたとか、まだおしゃべりもうまくない頃でも 音感は凄かったのだと思います。視覚障害の方は音感が特に素晴しいですが・・・。
この写真以外に この腹這いのまま くるっと向きを変えて 足でピアノを弾いているのがおかしかったです。赤ちゃんにとってピアノは 手で弾くものか足を使う物かわからないから・・・・。

これからの演奏活動を 楽しみにしています。
 
  

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2009年06月05日

神峯山寺行き


新型インフルエンザは終息のようだが あれ以来 用事以外は 以前ほど駅周辺への外出をしなくなった。ウインドウショッピングもやめた。
その代わり 最近は運動不足解消を兼ねて 家より北の方面を歩くことが多くなった。 
久しぶりに神峯山寺へ行った。神峯山寺口の駐車場に車を止めて歩いた。距離は0.9キロだそうで かなり近そうだった。最初の坂道で息が切れたが 程なく着いた。きれいな空気を吸っているようで 気持ちが良い。
これ位なら 毎日でも来たいなあと思った。



神峯山寺



神峯山寺口の牛地蔵

観光地でよく見るので これも撫でるとご利益があるのかと思って 体の悪い所と牛の背中を 撫でまくって帰ってきた。
ところが 家で 高槻の歴史の本を見たら、これは 亀岡や原地区と 淀川方面の荷物運びで使われた牛を祀ってある というような事が書いてあった。
この辺りが特産の寒天と原料の天草の搬送路なので、その荷役牛を祀った地蔵さんらしい。

  

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2009年05月30日

高槻出身のピアニスト・小形美香子さんのCD



ブログつながりで あやめの株を貰ってくださることになった小形さんの家に はじめてお邪魔させていただいた。
音楽の話等いろいろ弾んで 楽しい時を過ごさせていただいた。
帰りに 娘さんの 高槻現代劇場でのライブ録音のCDを頂いてしまった。(恐縮の限りです)
モーツアルトのピアノソナタ2曲とシューマンの幻想曲、 ヒンデミットの組曲が入っていた。聴かせていただくのを楽しみにしている。(今も聴きながら・・・です)
美香子さんは高槻出身のピアニスト 現在 ニューヨークで音楽活動をしておられる。年1回 高槻等でリサイタルをされる。
今年は 11月28日(土)に現代劇場で開かれるそうです。



昨年のリサイタルの時のポスター

  

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2009年05月25日

大阪城『残念石』


残念石

今回印象に残ったのが この『残念石』。この石は はるばる遠くから苦労して運ばれてきたのに 石垣として使われなかった石。 『残念石』とは うまく名付けられたものだと思う。その通りだけれど・・・。
天守閣の下で なんか恨みっぽく鎮座しているように見えておかしい。


金明水井戸屋形

この井戸は 天守閣のそばにあった。二代目天守閣の頃に造られたそうで、深さは33メートルと書いてあった。皆が覗いていたので私も覗いたが 真っ暗で何も見えなかった。天守閣が焼失してもこれは残った。

天守閣から見た景色

現在の大阪城の天守閣は 昭和の初めに造られた。市民の寄付を募ったら 莫大な寄付が集まったそうだ。 今 そんな 奇特な人 居られるかなあ・・・・?


生駒山が見える

天守閣から見ると 周囲に緑が多いのに感心した。この町の真ん中の憩いの公園が 大阪城公園だと思った。

大阪城公園前駅が出来るまでは 大手門から入ったものだ。
大手門から入っていた頃 大手門の石垣は 特大の石ででびっくりした記憶がある。 調査したら 中には特大だけれど 張りぼての様に薄っぺらい石もあるそうだ。
秀吉の頃の石垣も土の中にはあるそうだ。それはいわゆる野面積みという方法で積まれていたとの事。




刻印石広場

遠くは熊本など 色々なところから 運ばれてきた。 その藩の大名の印が付いていた。 城の石垣にも刻印されているのが見えるらしい。
現代ならともかく 全てが発達していない時代に こんな大きな石 (大手門からの石はもっと凄い) を運ぶのは 本当に大変だっただろうと思う。

  

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2009年05月23日

大阪城



水上バスの帰りに 大阪城へ寄った。
ここへ来たのは久し振り、つい鉄筋コンクリートの城か?という気持ちが強く 遠のいていた。
大阪城ホールの方 青屋門から入った。
ここも梅・桜のシーズンは素晴しいだろうと思った。

最初の城は豊臣秀吉が造ったが(織田信長時代の安土城を意識して それ以上のものをと考えて造ったとか) 大阪夏の陣で豊臣方が滅びた後、徳川氏によって再建された。しかし幾度かの落雷等で焼失、今のコンクリートの城になった。この城 コンクリート建築のさきがけのようだ。平成になってからも ハイテク技術で改修されたらしい。
でも 入ってみたら 中は歴史の資料館だった。(前回見た時の記憶が無いもので・・・) 勉強にはなるなあと感じた。
当時の物とか 歴史の資料があるわあるわ・・・・、一つずつよく読んだら色々参考になったと思う。沢山あって読み切れない位だった。



大阪夏の陣のミニチュア

戦いの様子を描いた素晴しい図屏風があった。その図屏風にもとづいて ミニチュアにしたものがこれらしい。松平忠直隊と真田幸村隊合計300体くらいあったが これは真田隊の様子。

  

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2009年05月19日

大阪水上バス(アクアライナー)体験



年間20万人が乗るという大阪水上バスに 自治会のツアーで 私もはじめて乗った。


大阪城公園駅をおりてすぐの所に 乗船場があった。
天満橋の下を通り、中之島の方へ行き 淀屋橋でUターン、造幣局の桜並木の所を通りOAPタワーの辺りで戻って約1時間のクルーズが終わった。途中 中央公会堂や中之島のバラ園などが見えた。橋はどれも低いので船の屋根がすれすれの様に見えた。船の屋根は 水位によってだと思うけれど 更に30センチ低く出来るということで 実演して見せてくれた。屋根がかなり頭に迫ってきていた。



ひとりで行ったり夫婦で行く時は 厚かましく前列に並んで 観るのにいい場所を確保するが 今回は自治会の皆さんと一緒、乗船前は優雅に椅子に座ってお喋りしていた。130人近い団体だったので 満席状態、四人掛けの窓に近い席を Get出来なかった。(おまけに 夫が自治会の係をしているので 座席の争奪など 間違っても出来なかった。)
見えるのは見えたが、同じ乗るのなら やはり窓から1・2番の席がよく見えて良い。
季節も 春なら 造幣局の桜並木が 船から見たら素晴しいと思う。乗るのは春が一番だと思った。


下船して 向かいのレストランで みんなで食べたお弁当
  

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2009年05月12日

私の故郷にある限界集落



テレビを何気なく見ていたら 我が故郷の事を特集していた。京都府と福井県の境にある『限界集落』ということで・・・。(境界が福井県に接している事も知らなかった)
西宮から 夫婦と子ども6人犬1匹で ここへ引っ越してきたという家族の特集だった。
野菜は新鮮でふんだんにあるし 家賃は3万円で安い・・・・。けれど 買い物に行くのに30キロ離れたスーパーに行くというし、携帯の圏外という事で 子ども達は 前の友達と連絡を取るときは 自転車で5キロ走ってからするそうだし 小・中は15キロ離れているそうだし(スクールバスでもあるのかな) 実際の生活ぶりを見せてもらうと 尊敬するというしかない。 
故郷に限界集落がある事は 前にもテレビで見て知ってはいたが 実際の生活ぶりを見て凄いなあと思った。
しかし 私の故郷へ来てくれる人がいる事については とても嬉しく思った。
市には 限界集落と呼ばれるところが 他にもあるそうで、市としても 過疎対策は色々やっているらしい。
ここは 今までは高齢化率100%だったとの事、私が行っても 高齢化率は減らない。
私は高校一年までこの市に住んでいたが 私がその当時通っていた小学校は 二千人というマンモス校、1学年7クラス位、教室の隅まで机で一杯だったのを覚えている位で 市の境界の方には行った事もなかった。
父親の転勤で 他県も回って最後に高槻に着いたけれど 今でもふるさとの事は気になっている。限界集落が沢山あると聞くと実に寂しい。
テレビでも また このような所を取り上げて欲しい。


ご主人が就職した温泉

私が昨年行ったこの温泉に ご主人が再就職したという。全く分野の違う仕事で戸惑っているとの事だったが、何とか続けて欲しい。

  

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2009年05月09日

あやめが咲いた


お隣から頂いたあやめが 毎年沢山花をつける。我家の様なド素人が育てても 肥料さえやれば花が咲く野生的な植物で 無精者の我家にぴったりの花だと思う。 
増えてきたので株分けして これ以外に木の下とか家の隅とか 他の花なら育たない所にも植えてある。
近所の方に切って差し上げたり 切花としても重宝している。

  

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2009年05月02日

映画 『レッド・クリフ PART Ⅱ』



昨年 『PARTⅠ』の赤壁の戦い直前まで観ていたので その続き『PARTⅡ』を観に行った。連休中のせいもあってか 凄い人だった。
筋は大体わかっているけれど、それでもジョン・ウー監督のダイナミックな映画は 見ごたえがあり楽しめた。
周瑜と孔明が 知略の限りを尽くして戦うのも面白かったが 女性陣の活躍も凄かった。




矢を10万本集めよと言われた諸葛孔明。 見通しの悪い状態の時を見計らって 藁人形だらけの沢山の船で敵地に乗り込み 矢を射させて10万本 いとも簡単に集め 戻ってくる。



女スパイとして敵陣に乗り込み 沢山の情報を集める孫尚香




曹操の最後


戦場での火による爆発シーンも凄かったが 戦闘シーンの人の多さも凄い、さすが中国だなあと思った。
  

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2009年04月27日

我家のメタボシクラメン


二年前に買った小さなガーデンシクラメン(の筈?)、昨年は少し花がついた。
鉢を大きくしたら 今年は葉っぱが出るわ出るわ・・・・、花が出てこないので 家族から葉っぱばかり育ててどうする?と冷やかされていた。よそのお家が咲いても 我家はでかい葉っぱばかり、諦めていた頃に 花が出てきた。知らないうちに花だらけ・・・、葉をかき分けて数えてみたら 花が合計145コ、つぼみが数コあった。

普通は葉っぱの遙か上に スマートに花が出ているのに 我家のは 葉っぱと花が殆ど同じ場所、中に隠れて咲いているのも沢山ある。
買った時と昨年は 葉っぱの上に花が数本出ていて 標準のシクラメン風だった。
育て方を知らないし期待もしていなかったのでほっていたら こんな花になってしまった。鉢がどこにあるかわからない位 花と葉っぱで一杯になっている。
余りにも葉っぱが多すぎて 花に日光が当たらないのも良くないのだろうと思って 今は葉っぱをかき分けて 花に太陽を当てるようにしてはいるが・・・・?
あんた ホンマにシクラメン?と聞きたくなる。

葉っぱを摘んで数を減らせばよかったのか 花も減らせばよかったのか、今は何が悪かったのかわからないが これから育て方を調べて また次は株分けなり植え替えなりして 買った時の姿に戻すつもりです。


  

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2009年04月24日

サークル友人の死



先日 友人が亡くなったという知らせが 突然飛び込んできた。

私がサークルに入った時のサークル歴が五年先輩で、入会した時 わからない事を全て教えてくれた素晴しい先輩だった。
最初 ど素人で全くボールが打てなくて大変だった時、(皆さんも この新米の相手をしてくださったが) 彼女は 真っ先に相手をしてくれた。
月当番のやり方(集会所の鍵開け・お茶当番、日誌記入について等)、トイレ掃除の後はここに記録するとか・・・・、細かい所迄丁寧に教えてくれた。
20代はじめの頃の社会人新任時代は 失敗しようと何しようと 若さと体力で厚かましくやっていたが、このトシになってからの新米は、経歴十年以上のベテラン揃いの中で モタモタしまくり、彼女のお陰で 今日まで続けられたような気がする。

彼女は 12月半ば迄は 元気で変わりなくサークルに来ていたので 突然の知らせに みんなの衝撃は大きい。
「数ヶ月に一回位は 検査の為 数日入院しています。」と 聞いてはいたが 入院の後は いつも 元気でサークルに来ていたので 健康なのだと思い込んでいた。
明るくて 気遣いの出来る人で、これ程皆から好かれていた人は見当たらないと思う位 素敵な人だった。

彼女が亡くなったとはまだ信じられないし、また ひょこっと集会所に現れるような気がしてならない。


昨年彼女に貰ったエンジの紫陽花の挿し芽


昨年 「挿し木にしたらどう?」と 濃い赤のとても綺麗な紫陽花の切花を 持ってきてくれた。
挿し芽がついて 「ついたよ。」と 話してはいたが、咲いた花を見てもらう前に 亡くなってしまった。
これを彼女だと思って 大事に育てるつもりです。  

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2009年04月21日

ウクレレジャズトリオ ティータイムコンサート


私が知っているウクレレは テレビで聴くハワイアンのウクレレと 牧伸二さんの「あ~~、やんなっちゃうな音符」位のもの、 ウクレレだけのコンサートってどんなのかな?と 楽しみにして行った。
伴奏もウクレレベースでしていた。あの小さい楽器が低い音を出していた。(勿論コードは繋がっていて 素人目にはエレキの小型ベースいう感じに見えたが・・・)
曲はハワイアンは勿論 グレンミラーメドレー、カーペンターズメドレー、第三の男、デキシーランドジャズメドレー等 広い分野の演奏を聴かせてくれた。
バンジョープレイヤー兼ボーカリストの『かねだたつこさん』は高槻在住との事、「今日は演奏会終了後 家まですぐ帰れます。」と笑わせていた。

今日のコンサート 男性の姿が多かった。昔を懐かしんで聴きに来ておられるという感じだった。
軽快な音楽を沢山聴けたし、『飲み物の出るコンサート』というのも良かったし、楽しいコンサートだった。


  

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2009年04月18日

江戸時代の役所 『高山陣屋』


門のちょうちんにも幕にも 徳川家の葵の御紋がついている


元禄5年に幕府の天領地となってから、明治維新までの177年間 25代の代官・郡代が江戸から派遣されて 幕府直轄領の行政・財政・警察などの政治を ここで行ったそうです。
この徳川幕府郡代役所を保存する為 大金を投じ復元修理をし この陣屋をよみがえらせたのだそうです。
当時とほぼ変わらない形で残っているのは全国ではここ位のもの、 珍しいということでした。








陣屋庭
  

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2009年04月15日

飛騨の小京都・高山


街の中心を流れる宮川の東側に 古い町並みの三町通りがあった。一之町・二之町・三之町の筋の事をいうそうで 出格子のある古いお店が並んでいた。春慶塗等の伝統工芸品のお店や 飾りにしたいような家具を置いている店 造り酒屋、玩具屋さん 駄菓子屋さん等色々あって お店に入っても また通りを歩いているだけでも 美しい楽しい所だった。

上三之町通り





  

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2009年04月12日

世界遺産白川郷② 明善寺


白川郷では お寺も合掌造りだった。ここは5階建てだそうで 大きさは最大級だった。


囲炉裏


合掌造りの家には このような感じの囲炉裏が どのうちにもあった。
囲炉裏の火は 火種を残すために一日中燃やされているようだ。囲炉裏は暖をとる為、物を煮炊きする為にあると思っていたら、囲炉裏の火が上に上がる事によって虫除けにもなり 家を長持ちさせると言っていた。
だから中は柱が黒光りしているが 外の柱を見ると黒くはなかった。
どこでも 階上は蚕の飼育場になっているそうで 蚕の棚がたくさんあった。

合掌造りの建物は 床下から上の階までうまく利用されている。 建築として専門家が見ても素晴しい物なのだろうし、昔の人の知恵に感心した。

白川郷では 私が知らない事がたくさんあって、来て見て 色々な事がよくわかった。
  

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