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2012年01月21日

歴史講座『古曽部・芝谷遺跡をめぐって』

歴史講座『古曽部・芝谷遺跡をめぐって』


昔 孫が小さかった頃 芝谷公園へ遊びに連れて行った事があった。
古墳の周りに柵がしてあって その前に立札が立っていた。
孫が「これは何?」と聞くので 立札を読んで「昔の偉い人のお墓だと書いてある」と答えた。「どんな偉い人?名前は何と言う人?」と聞かれて困ったことがあった。

私も以前から これは誰のお墓なのかと思っていた。
 
今回 古曽部・芝谷遺跡についてのお話がきけるという事なので 講座を聴きに行って来た。

それによると、弥生時代、古曽部・芝谷・奥天神の辺りに 人が居住していた環濠集落が見つかり 何年か前に発掘調査されたらしい。

美しが丘付近の調査の事は 調査があったいう事だけを うっすらと覚えている程度、見学にも行かなかったし 殆ど知らなかった。

その頃の様子を 発掘した頃のスライドや 弥生時代の絵を交えて 詳しく話された。
『芝谷12号住居』という竪穴住居の様子を 発掘を元にした絵を見ながら色々聞いた。
当時の生活の様子を想像した。

『芝谷12号住居』のモデルというのが どこかに展示されていないのか?と思ったが、それはないらしい。


歴史講座『古曽部・芝谷遺跡をめぐって』

芝谷古墳

ここは この地域の古墳の最高部に当たるらしい。住宅地にせずに、古墳も発掘されずに そのまま残された。


歴史講座『古曽部・芝谷遺跡をめぐって』



歴史講座『古曽部・芝谷遺跡をめぐって』

孫に読んで説明(?)した立札

前方後円墳だとは書いてある。


聴きに来ていた人は この地域の人が多いのか 発掘を期待している人がいたが、ここは調査されないらしい。
私も今なら 時間もあるので そういうのがあったら見に行く。

芝谷・古曽部地域と 下の京大農場の所の安満遺跡とも交流があったとか・・・。

私たちがいま住んでいる地域の昔を想像した。






Posted by モッチ  at 07:44 │Comments(0)

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